昨日の新治先生の講座、大変すばらしかったです。
私も含めて、日本および日本人がいかに平和ボケしているか、そして、日本の常識が、いかに世界から見て非常識か。よーく分かりました。
新治先生は防衛大学を卒業後、若くして米空軍工科大学大学院航空工学修士課程を卒業されて、30年以上日本の防衛、世界の防衛・戦争に関わってきていますから、海外からみた日本の姿を、歴史を通して大変分かりやすく説明してくださいました。
参加受講生は少なかったのですが、「日本の危機と防衛を考える」というタイトルをみてお集まりになった方々ですから、大変問題意識が高い。お集まりになった男性も女性も、受講後のアンケートを拝見すると、すばらしい感想を書かれていて感動しました。
とくに女性の方の問題意識が高かったのにはびっくりしました。従来の私の意識では、(女性の方すみませんね、私の偏見ですから少しお許しを)、男性に比べて女性は防衛論や戦略論には、あまり関心が高くないのではないか、と思っていましたが、豈図らんや、最近は女性の方が問題意識が高いのかもしれません。昨今、いろんな意味で、私も含めて日本の男性は情けなくなってきているのではないでしょうか?従来なら男性が活躍するステージにおいても、女性が各方面で活躍する場面が増えてきているのは、どうもこういったところからも窺えます。男性陣、がんばりましょう。
さて、少し内容に触れますと、1849年に下田に黒船が姿を見せた江戸末期から明治維新を経て、日英同盟、日清戦争、日露戦争、第一次大戦、満州事変、第二次大戦、朝鮮戦争、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約、80年代~90年代、そして21世紀へ。
いかに冷徹な世界戦略の中に日本が置かれていたのか。
まずは、200年を超える江戸時代の平安を打ち破るように、下田に黒船が現れて、わずか19年で、明治維新という革命を成し遂げた日本人の優秀さ、明治人の気骨さ。そして、それから37年後に、大国ロシアを破るまでになって、先進国に肩を並べた。
皆さん、少し想像してみてください。2世紀にわたって平安がそして鎖国が続いた後に、いくら海外から数隻の船が来たからって、どうして国家を大きく変革する動きまでつなげられるんでしょうか?江戸の人々、そしてそれから続く明治の人々が、いかに情勢判断力がすぐれていたか。歴史は見事に証明しています。しかも彼らの外交交渉力(戦略力)がいかに優れていたか。小国とはいえ、列強に堂々と渡り合っています。
そして、当時の大国、イギリスと同盟を結んでいる。この視点の鋭さ。このことが大国ロシアを破る力になっている。覇権国と手を結ぶことがいかに重要かを示しています。また、そのことによって第一次大戦後は、戦勝国の仲間入りをしています。
次に第一次大戦後、ワシントン条約によって、日英同盟は解消されます。ここで覇権国家とのつながりが切れました。そして、先進国との外交交渉(戦略)に負けて、第二次大戦にまで突き進むことになってしまいます。
そして戦後は、アメリカの世界戦略に、大きく日本は身を委ねざるを得ない状況へと移っていきます。図らずも覇権国家とのつながりをもつわけですが、先の日英同盟とはまったく異なる状況で。(日本が主体的につながりをもったわけではありません。あくまでも受身的に。)
第二次大戦後のアメリカは、はっきりと日本に二度と軍隊を持たせないように、農業国に近い状況に置こうと戦略を立て、統治を進めます。(大戦を二度行ったドイツの二の前は避けたかったのがありありとわかります。第二次大戦を戦った相手としての日本の潜在力をアメリカは恐れていたともいえます。)言ってみれば、国際的な「刀狩」を行いました。
日本人が誇りに思っている「平和憲法」は、アメリカの周到な国際戦略の中で生まれています。また、アメリカによる日本人への思想教育も行われていきます。言ってみれば、アメリカ教のイニシエーションが、洗脳が、日本人全員に広範囲で行われることになったわけです。(ただし、私はこの教育のよい面もかなりあったとは思っています。が、この教育によって、日本人の思想は国際戦略から遥かに遠い視点に取り残されることになっていきます。大変「内向き」の発想が日本全土に広がることになり、先の「刀狩」と同時に、日本人の思想が「腑抜け」状態におかれることになってしまいました。アメリカの周到な戦略の大きな成果です。)
ところが、この後、アメリカにとっては思わぬ事態が発生します。それがロシアの動きでした。第一大戦後のロシア革命によって誕生した社会主義国家ソ連が、第二次大戦後の一時の平安に乗じて、共産党革命を押し広げるために、朝鮮支配を画策し、1950年6月に朝鮮戦争が勃発します。
このことによって、アメリカの日本への見方は180度転換します。アメリカの国際戦略は、日本をソ連からの共産党革命から防ぐ前線基地と見立てます。
1941年の太平洋戦争開戦時の日本の国力(GDP)は、アメリカの国力(GDP)の13分の1だったそうです。(したがって、いかに太平洋戦争が無謀であったか、わかります。)
1945年の終戦時の日本の国力は、1941年のときの3分の1まで落ちています。一方のアメリカは1941年の時の3倍に。ということは、終戦時の日本の国力は、アメリカの117分の1です。もうほとんど日本は極貧国に落ちていました。
アメリカとしては、このまま日本を極貧国とまでいかなくとも大きな国力をもたないままにさせようとしていたのが、1945年から1950年までの日本統治戦略です。
ところが、朝鮮戦争がはじまり、ソ連が侵攻してきた。このことがアメリカの日本に対する戦略を大きく変えることになります。
日本の国力を極貧国の状態のままにさせておいては、日本をソ連の共産党革命からアメリカを守るための防波堤にすることができないことに気づきます。したがって、急遽、1951年サンフランシスコ講和条約への締結に、アメリカは動きを早めます。
サンフランシスコ講和条約は、当時の敗戦国日本からみれば、破格的に寛大な内容となっています。大戦を興し敗戦したにも関わらず、大きな賠償責任を負わず、特別の政治的義務も課せられなかった。しかも、この後アメリカと冷戦に突き進むソ連・ポーランド・チェコスロヴァキアの3カ国は調印していません。サンフランシスコ講和条約が、覇権国家アメリカによって周到に練り上げられた世界戦略の中にあることを物語っています。
そして、アメリカの統治のくびきを解かれた日本は、経済成長に邁進します。
まるで、日本人が自分たちの力だけで高度成長したと錯覚を起こす位に・・・。
ここで少しまとめておきましょう。
すなわち、受身的ではあったが覇権国家とのつながりをラッキーにももてたわが国は、結局、かなり皮肉的なんですが、ソ連の共産党革命からくる冷戦構造のおかげで、アメリカの世界戦略のもとぬくぬくと飛躍的な経済成長を遂げることができたのだ。
ということを、われわれ日本人は強く認識しておく必要があるといいたいのです。
この認識は大変重要です。なぜかというと、21世紀を迎えて、過去のブログでもお話していると思いますが、世界構造が大きく変わろうとしているからです。
アメリカは日本を世界戦略を遂行するためのパートナーと見立てています、かろうじて今までは。
なぜか?
それは、そのことがアメリカ自身を守ることにつながるからです。アメリカを利することにつながるからです、今までは。
日本人は誤解しない方がよいです。決してアメリカは日本のためだけを思って、日本を利するためにだけ、日本を支援してきたわけではありません。
新治先生は言っていました。「日本に、現在、1日(?)に23隻のタンカーが原油を積んで入ってきています。このタンカーが止まったらどうなりますか?」
皆さん、わかりますね。とまったら、われわれの日常生活もとまります。電気水道のインフラだけでなく、すべての経済活動が。
じゃあ、そのタンカーの通路(シーレーン)を守っているのは誰ですか?
それは間違いなくアメリカの第7艦隊です。日本の自衛隊ではありません。じゃあ、アメリカは何のために、シーレーンを防衛してきたのか?
間違いなく、アメリカのためです。国際政治はボランティアではありません。それぞれの国民が生き抜くための「ぎりぎりの真剣勝負」が国際政治です。お人よしはまったくいません。権謀術数、狡猾さ、策略、あらん限りの知恵を使って、おどし、恫喝も利用しながら「つばぜり合い」を行っていくのが、国際政治です。
そして、われわれの生活の土台はその国際政治に委ねられています。
(ちょっと受身的な表現を使いました。それは現在の私を含めた日本人のセンスを、あえて表現するために。)
本当はわれわれは自分たちの生活の土台を国際政治から勝ち取ってこなければならないわけです。
21世紀の前半の国際情勢はどうなっていくでしょうか?
われわれはこの状況をしっかり分析していかなければ、自分たちの今当然のようにある日常の生活が、足元から大きく崩れていくことに気づかなければなりません。
すでにアメリカの覇権は崩れかかっています。ソ連は消えました。アメリカがソ連の共産党革命から、自分たちを守るために、日本を守らなければならない動機が消えました。アメリカにとって日本を守らなければならない動機は、ソ連から守る動機に比べてかなり小さいであろうが、かろうじて残っているのは、北朝鮮の核です。
現在6カ国協議をやっていますが、皆さん、気づいてください。日本より遥かに国力の小さい北朝鮮が、権謀術数を使って、自分たち(金日成をはじめとした支配者たち)を守るためにあらん限りの智恵を使って、外交交渉し、大国アメリカを牛耳っています。
もちろん、別にこれを見習う必要はまったくありませんが、唯一いえるのは、これが国際政治の実際である、ということ。
もうそろそろわれわれは目覚めなければなりません。戦後の繁栄は、われわれの力もあるでしょうが、それ以上に、たまたま日本がおかれた国際構造のおかげなんです。
日本を守るのはアメリカではありません。アメリカが日本を守ってくれるわけではありません。
日本を守るのは日本人しかいないんです。これが、国際常識です。
日本だけです。軍隊や防衛の話をし始めると、やれ右だ、左だと騒ぐのは。自分の国を守ることを考えるのに、右も左もありません。
なぜ国旗掲揚がだめなんですか?なぜ国家斉唱がだめなんですか?
それは日本という国を守る、日本人として最低限の行動ではないですか。
だめだったのは、国旗掲揚や国家斉唱ではなく、日本の第一次大戦後の国際戦略が、あまりにも稚拙だったからです。国際情勢の分析がまずかったからです。そして、当時の軍人のコントロールが愚かだったからです。軍部の暴走を止められなかった。
ここに問題があったのに、日本人は一向にそのことに光りをあてず、そこをオブラートに包み、さもその当時の日本人の大衆のムードや風習や思想がおかしかった感じをもっている。それは何にも問題の解決にはならないと思っています。また、戦争について戦略論から語ることをタブー視している。
新治先生は言っています。「イギリスのケンブリッジ大学には、戦争学部という学部があるんですよ」。
日本の大学に、戦争を科学的に分析している学部は、防衛大学を除いてどこにもありません。
東大という、明日の日本を背負うべき官僚予備軍たちが学ぶ機関にも、戦争を学ぶ場所がありません。
国際政治について論じ交渉しなければならない官僚たちが、戦争を知らないでいます。
戦争を防ぐには戦争について、あらゆる方面から、われわれは熟知する必要があります。海外の一流大学の学生たちが何をもっとも勉強するか。それは国際戦略です。
われわれはなぜ犯罪をしないのか?もちろん、私は倫理観の醸成はすごく大事に思い、倫理法人会も入らせていただきましたが、ただそれだけで、世の中の平和は保てません。
われわれが犯罪をしないのは、ピストルをもった警察がいるからです。社会が平和に保たれているのは、警官とういう抑止力があるからです。
世界が平和に保たれているのは、これまでアメリカの超強大な軍隊と最新鋭の武器という抑止力があったからです。そして、この抑止力はアメリカが戦争について深く分析し認識し軍隊・武器を持ちえたからです。
戦争について深く分析していき、ただ分析だけでは諸刃の剣(ダモクレスの剣)になりますから、その戦争をコントロールする「心=人類愛」も醸成していかなければなりません。
戦争のことを深く知るから、戦争をやってはいけないんだ、という心が育ちます。
戦争のことをあまり一般の人々が知らず、ごく限られた心の育っていない人々が、高度な武器をもったとき・・・・・・・・・
・・・・・・世の中は破滅に向かうでしょう。
大衆が戦争についての認識を深めれば、その抑止につながります。
われわれは、戦争についての認識を深め、防衛について知恵を張り巡らせることが、われわれの生活の基盤を守ることにつながるんだという思いを新たにしなければならない。
戦争について語らず、ましてや内にこもる発想をしたとき、われわれの足元は次第に崩れていくんだ。
今回の講義は、こういった視点に改めて気づかせていただきました。
新治先生の認識と、私が普段ぼんやり思っていたこととの重なりがかなりあって、私にとっては意を強くしました。
われわれは、今一度、明治時代の人々の意識を呼び起こさなければ、これからの激動の世界を乗り切っていけないんだという思いを、最後に記して、ちょっと長くなってしまいましたが、終わります。
ここまで読んでいただいて誠にありがとうございました。では。