”森”が先か、”木”が先か Ⅴ

かっちゃん

2007年04月03日 23:56

昼間の常葉菊川の余韻も少しおさまりつつある今宵、いかがお過ごしでしょうか?
そろそろ思索の時間では・・・なんちゃって。そんなことはないですかね。

ま、ともかく、このシリーズ早く終わらせないと、皆さんのアクセスが減ってしまうので、とにかく、今回が最終回です。(やっぱりこういう地味な内容はなかなか人気がないですね)
大体、写真もなく内容がそんなに面白いものでもないのですから、ここまでお付き合いしてくださっている方が仮にいらっしゃったら、それはもうよほどの変人ですね。私と同じ偏屈おやじですよ、まったく。仲良くしましょ

さてさて、途中からこのシリーズを読み始めた方のために、バックナンバーを。

そもそものはじまり → http://katsu.i-ra.jp/e515.html
     Ⅱ      → http://katsu.i-ra.jp/e588.html
     Ⅲ      → http://katsu.i-ra.jp/e609.html
     Ⅳ      → http://katsu.i-ra.jp/e617.html

よくこんなに書くよね。まったく自分のためですから、ごめんなさい。

さあ、では最終回。はじめましょう。

前回までの話で、「われわれが他人との関係性をより深く認識し、将来に生かしていくために教育(学習)が必要」というところまでいきました。続けます。

私たちが目の前で見ているPCは、「今、現時点での私」が見ている形です。PCの形は、その人の性格や考え方、感じ方、価値観、知識等々によって、まったく異なったものとして映っているはずです。人によっては、目の前のPCを単なるモノとしてとらえているでしょうし、ある人によっては、そのPCの組成が中身がCPUが何々で、と認識した上で見ているでしょうし、単にPCを人間性のない冷たいもの、として見ている人、PCを自分の将来を切り開いてくれる頼もしい味方として見ている人もいます。それぞれの人には、まったく同じPCとしては見えていないはずです。

また、「今、現時点での私」が見ているPCと、「少し過去の私」「少し未来の私」が見ているPCも異なっているはずです。なぜなら、人間の性格や考え方、感じ方、価値観、知識等々は時間によって異なるからです。(これを成長と言い換えてもよいかもしれません。)

即ち、PCは、あなたが見ている「世間」です。そして、その「世間」はあなた自身です。
そして、その「世間」の見方に大きく影響を与えているのが、教育(学習)です。

われわれは、他人との関係性を深く認識し、「世間」の見方をよりよいものとして、または成熟したものとしていくために、そして、そのことを通してよりよく行動し幸せな豊かな時間を享受するために、教育(学習)が必要です。

私の発した質問が、最後は教育論になってしまったようで。決して我田引水ということではなく、私が考える一つの普遍的な「人の生き方」論として読んでいただければ幸いです。

なんだか、最後はわかりにくいお話になってしまったかもしれません。現時点での私の未熟さが現れているものと思います。とにかく、このテーマに終わりはありません。時間が経ち、私も年を経ていけば、その時点での価値観でお話していきます。また何年か経って、このテーマをもう一度探ってみることにしたいと思います。成長していればよいのですが、退歩していたりして・・・・あーっ
というところで、おやすみなさい

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