無意識の世界Ⅶ
2007年10月27日
第1回 → http://katsu.i-ra.jp/e10289.html
第2回 → http://katsu.i-ra.jp/e10339.html
第3回 → http://katsu.i-ra.jp/e10363.html
第4回 → http://katsu.i-ra.jp/e10661.html
第5回 → http://katsu.i-ra.jp/e10851.html
第6回 → http://katsu.i-ra.jp/e11026.html
さあ、このシリーズ、今回が最終回であります。
前回、父との出会い、という不可思議な終わり方でありました。
そもそも私にとって父というのはどういう存在であるか。
多くの皆さんにとって父と出会うことは特別な出来事でもなんでもないはずですよね。
ところがこのシリーズの第4回を読んでいただいている方にはよくお分かりのように、私には父がいないのです。父は私が1歳の時に他界しているわけです。
したがって、この、皆さんにとってはなんでもない、父と出会うということが、私にとって、本当に本当に深い深いことだったのです。
そもそも私の実感からして、父の存在は、私の意識の中にはまったくありません。父の写真はありますが、その写真に何の愛着も感慨も湧きません。そして、これは母が本当に偉かったんだと、今になってつくづく思うことは、父がいなくて困ったという思い出が少しも私の中にありません。(だからこそ、逆に言えば、母から「生きるプライド」を得ているわけですが。)
確かに、伊勢湾台風以降、家の中に男は私一人ですから、よく小学生の頃は、身近に男の手本がいないことから、「こんな時に、またはあんな時に男はどういう風に思い、判断し、行動するのか」が気になって仕方がなかった思い出があります。近所の友達のお父さんをよく一生懸命見ていた頃もありました。
このことは結構、潜在意識に影響を及ぼしていますが、この「男の手本がない」ということと、「父がいなくて困った」ということは私の意識の中ではまったく結びついていません。
そもそも「父がいなくて困った」という意識そのものがまったくないのです。
即ち、私の意識の中に「父」はいないのです。
その父とはじめて出会っている-
戸惑いと共に、なぜだ、と頭の中で声がこだましています-
すると同時に、父の声が、
「かつひろ、お父さんはお前に謝るために、ここに来たんだよ。」
「お父さんは、ず~っとお前のそばにいたかった。そして、いろいろなことをお前に教えてやりたかったんだ。でも、こんなことがあって、それができなくなってしまって、ごめんよ。
でも、お父さんはお前のことをず~っと愛してるぞ。」
・・・・・・・・・・・・・・・。
嗚咽が聞こえました-
だれ?誰が泣いている?
気がつくと、私はぼろぼろ涙を流していました。
そして、
「お父さん、ありがとう、ありがとう」 と何度も何度も叫んでいました。
この体験があってから、私の気持ちは、すう~っと無音の静寂に置かれ、心が真の安らぎを求めてきて、ようやくそれが得られた思いがしました。
何か、ず~っと溜まっていた、心の中の澱が取り除かれて、軽くなって、そしてすごく気持ちがよかった。午後のまどろみの中の安寧と、胸一杯の幸福感で満たされていました。
現在は、この時の思いが常に心の中にあるわけではありませんが、何かあの時、私の人生の大きなメルクマールがあり、あの時点から私の人生の羅針盤が少しずつ角度を変えてきている気がしています。
また、なぜ私がクリエイティブなもの、創造的なものを求めているか、がよーくわかりました。
先ほどの「男の手本がない」ということ。
このことで、私は自分の所作や考え方、もっといえば男としての生き方を自分で創り上げてきました。
私は生をうけて生きてくる過程で、いろいろなもの・ことを自ら創り上げてきた人生だったのです。
そして今、私がはっきり言えるのは、
私の意思決定の背後に、母と、そして父の存在があるということ。
ようやく、私の心の中に、母と父の並んだ写真が自然な形で収まりました。
皆さん、どうですか。
皆さんの潜在意識の中にもきっと素晴らしい宝物が隠されているはずですよ。
ぜひ、その宝探しをはじめられてみては。
皆さんの探し求めていた幸せが、きっとそこにはあるはずです。
さあ、私の潜在意識の旅は、これでひとまず終わりとします。
潜在意識の旅に果てはありませんから、まだ、この続きはあるのですが、どこかでお話するかもしれませんし、しないかもしれません。か・ぜ・ま・か・せ。
興が乗ったらお話することにしましょう。ではまた、潜在意識の深海探検に。アディオス、アミーゴ。
第2回 → http://katsu.i-ra.jp/e10339.html
第3回 → http://katsu.i-ra.jp/e10363.html
第4回 → http://katsu.i-ra.jp/e10661.html
第5回 → http://katsu.i-ra.jp/e10851.html
第6回 → http://katsu.i-ra.jp/e11026.html
さあ、このシリーズ、今回が最終回であります。
前回、父との出会い、という不可思議な終わり方でありました。
そもそも私にとって父というのはどういう存在であるか。
多くの皆さんにとって父と出会うことは特別な出来事でもなんでもないはずですよね。
ところがこのシリーズの第4回を読んでいただいている方にはよくお分かりのように、私には父がいないのです。父は私が1歳の時に他界しているわけです。
したがって、この、皆さんにとってはなんでもない、父と出会うということが、私にとって、本当に本当に深い深いことだったのです。
そもそも私の実感からして、父の存在は、私の意識の中にはまったくありません。父の写真はありますが、その写真に何の愛着も感慨も湧きません。そして、これは母が本当に偉かったんだと、今になってつくづく思うことは、父がいなくて困ったという思い出が少しも私の中にありません。(だからこそ、逆に言えば、母から「生きるプライド」を得ているわけですが。)
確かに、伊勢湾台風以降、家の中に男は私一人ですから、よく小学生の頃は、身近に男の手本がいないことから、「こんな時に、またはあんな時に男はどういう風に思い、判断し、行動するのか」が気になって仕方がなかった思い出があります。近所の友達のお父さんをよく一生懸命見ていた頃もありました。
このことは結構、潜在意識に影響を及ぼしていますが、この「男の手本がない」ということと、「父がいなくて困った」ということは私の意識の中ではまったく結びついていません。
そもそも「父がいなくて困った」という意識そのものがまったくないのです。
即ち、私の意識の中に「父」はいないのです。
その父とはじめて出会っている-
戸惑いと共に、なぜだ、と頭の中で声がこだましています-
すると同時に、父の声が、
「かつひろ、お父さんはお前に謝るために、ここに来たんだよ。」
「お父さんは、ず~っとお前のそばにいたかった。そして、いろいろなことをお前に教えてやりたかったんだ。でも、こんなことがあって、それができなくなってしまって、ごめんよ。
でも、お父さんはお前のことをず~っと愛してるぞ。」
・・・・・・・・・・・・・・・。
嗚咽が聞こえました-
だれ?誰が泣いている?
気がつくと、私はぼろぼろ涙を流していました。
そして、
「お父さん、ありがとう、ありがとう」 と何度も何度も叫んでいました。
この体験があってから、私の気持ちは、すう~っと無音の静寂に置かれ、心が真の安らぎを求めてきて、ようやくそれが得られた思いがしました。
何か、ず~っと溜まっていた、心の中の澱が取り除かれて、軽くなって、そしてすごく気持ちがよかった。午後のまどろみの中の安寧と、胸一杯の幸福感で満たされていました。
現在は、この時の思いが常に心の中にあるわけではありませんが、何かあの時、私の人生の大きなメルクマールがあり、あの時点から私の人生の羅針盤が少しずつ角度を変えてきている気がしています。
また、なぜ私がクリエイティブなもの、創造的なものを求めているか、がよーくわかりました。
先ほどの「男の手本がない」ということ。
このことで、私は自分の所作や考え方、もっといえば男としての生き方を自分で創り上げてきました。
私は生をうけて生きてくる過程で、いろいろなもの・ことを自ら創り上げてきた人生だったのです。
そして今、私がはっきり言えるのは、
私の意思決定の背後に、母と、そして父の存在があるということ。
ようやく、私の心の中に、母と父の並んだ写真が自然な形で収まりました。
皆さん、どうですか。
皆さんの潜在意識の中にもきっと素晴らしい宝物が隠されているはずですよ。
ぜひ、その宝探しをはじめられてみては。
皆さんの探し求めていた幸せが、きっとそこにはあるはずです。
さあ、私の潜在意識の旅は、これでひとまず終わりとします。
潜在意識の旅に果てはありませんから、まだ、この続きはあるのですが、どこかでお話するかもしれませんし、しないかもしれません。か・ぜ・ま・か・せ。
興が乗ったらお話することにしましょう。ではまた、潜在意識の深海探検に。アディオス、アミーゴ。

今日は久しぶりに何もせず・・・・
ずいぶん久しぶりのアップになっちゃって・・・・
今年は太宰治の生誕100周年です
信じたくはないが、戦争を起こしたい人がいるんじゃないのか!
蔵王の自然
ホンダ、F1撤退・・・・ほんとに寂しいねえ
ずいぶん久しぶりのアップになっちゃって・・・・
今年は太宰治の生誕100周年です
信じたくはないが、戦争を起こしたい人がいるんじゃないのか!
蔵王の自然
ホンダ、F1撤退・・・・ほんとに寂しいねえ
一番話したくないこと、出来れば心の中にだけ収めておきたいことを、書いて頂きありがとうございました。
私もカウンセリングの世界はかなり勉強させていただきましたし、今も 勉強中ですが
無意識の世界 幼い頃の見た風景 感じた
世界って一生を左右するほどの、凄いものなのですね。
親の意識って----
人間は意識を生きる 生き物なのでしょうか
親だけでなく 色んな人の意識も受けているでしょうから、自分の波動が狂うと 又
狂った波動をうけるので、
かっちゃんのように、感謝していけば
感謝の波動が その人を一段と幸福な状態にみちびくのですね。
本当にありがとうございます。
よい経験を聞かせていただき感謝です。
学長の又違った面をみせていただいた感じです。
気づきとは一言でいうものの、その深さが人の幅になるのかなぁと感じます。
また、背伸びしても味わえず、その時に必要な事がそれぞれ感じられるとも思います。
三十半でようやく親になる権利をもらえた私にとって、親の存在の大きさを痛切に感じます。
ここからの気づきを大切にして、会社に貢献!社会に貢献!そして家族に感謝です。
なかなか人間ままならないもので、カウンセリングの世界も非常に難しいものですね。
ステレオタイプにこういうケースはこうで・・・・なんて簡単なものではなく、どのケースもケースバイケース。その人の個性、時、場等々、あらゆるケースで対応が個々に違ってきます。
うちの生徒の場合も、これはうちのスタッフのさくらがよくわかっていますが、それぞれによって、まったく異なります。
大変しんどい作業ですが、これがもっとも重要な教育(共育)といえるのかなあ、と思っています。
「心の教育(共育)」・・・・ますます重要になってきますね。ではまた。
会ってないからようわからんもんね(⌒▽⌒)
まあ、元気にやっていることと思う。
生徒たちもいろいろあるけれどもわりと順調に成長しているようです。
今度会ったら、君の母ぶりをチェックしてやるから覚悟しておくように・・・・ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハでは。