「2007年12月29日」の記事一覧
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今年の締めくくり「歎異抄と現代」
さて、今年は皆さんにとってどんな年だったでしょうか?
今年も例年にたがわずいろいろな事件や事故、出来事がありました。
「偽」の年と言われましたが、それは何も今年が特別そうだったわけではなく、90年代後半から21世紀に入って、この日本のあちらこちらに見受けられたことだったのではないか、という気がします。
自分も含めた日本人が「大きく動揺・混乱しているさま」が見受けられます。80年代の日本は、今から振り返ると「自信にあふれていた」のではないでしょうか?(見せ掛けの「自信」だったと思いますが・・・。)
わずか十数年でこの国は自信だけではなく、「心」を失いつつある気がします。
きっとこの国は大きく変革しなければならないタイミングに差し掛かっているにもかかわらず、変革の意気地がなくただいたずらにその場しのぎを行い貴重な時間が無駄に過ぎていってしまっている。そういう気がします。
もちろん、他人事でなく自分も含めて、のことですが。
さて、このような状況の中で、今年も様々な方々にお会いしました。そして、その出会いを通して「心」に残った言葉は何か、と考えましたところ、この方の言葉がもっとも残っています。
五木寛之氏の言葉の数々
「世界の精神状況が躁の時代から鬱の時代に入った」
「欝を悲しいもの、否定的なもの、ととらえるのはどうか」
「悲しいですか、という挨拶もあっていいのではないか」
「弱い人間というのは、むしろうたれづよく、『あーあ』と嘆息することはむしろごく自然な感性である」
最近、氏が発端となってブームになったものがあります。
それは、「歎異抄(たんにしょう)」。ご存知の方は多いと思います。親鸞の教えが書かれた「日本の聖書」です。
私の実家も浄土真宗に帰依していますから、私も幼時から親鸞の教えを、その意味も分からぬまま唱えておりました。
そして、物心がつき、人生の拠って立つものや世の中のことわりを探しはじめた際に、すこーしずつ気になり始めた人物が、やはり親鸞その人でありました。
日本人が自信を失い、心をなくしつつある今、「歎異抄」がブームになりつつあるということは、私の中で大変符合し合点するものがあります。
私は思います。「日本人の心のよりどころは歎異抄ではないか」。
その昔、日本の哲学者、西田幾多郎は空襲の火災を前に、ほかの書物が燃え尽きても「歎異抄」さえ残ればいいと言い切ったそうです。
歎異抄こそ日本の原点。われわれが世界に誇るべき日本人の普遍的価値観だと思われます。まさに日本人が取り戻すべき「心」がここにあります。
西田幾多郎は「哲学の動機は人生の悲哀でなければならない」と言ったそうですが、昔から日本人の心の態様は人生の悲哀を切り捨てるものではなく、人生の中に内包され共にありそれに備え対峙し過ごしていく価値観がありました。
アメリカを中心とした昨今のグローバリズムや市場経済の流れにおいて、もっとも重要なことは「負を切り捨て、正に変えていくこと」ではなく、「負を負として内包しともにありともに歩む心の態様」ではないか、と思っております。
キリスト教的世界観が限界となり、人々の心の支柱が流動化し不安定化している現代、日本人の果たすべき役割は大変重要なものがあると思っています。
われわれ日本人はわが国を世界から俯瞰し、日本という国が果たすべき役割、また世界に伝えなければならない『心の伝道師』としての日本人の働きについて気づくべきです。
私もこのような問題意識から起業したものですから、起業から10年たった来年に向けて大きく行動していかなければ、と思っています。
手始めに、この年末年始は今までと違いこの三島に残り(というのは、例年は実家の三重県に帰省していましたから)、来年大きく行わなければならない事業の計画書を作成します。年末年始は休んでいられなくなっちゃった・゜゜・(×_×)・゜゜・。 ビエーン
来年はいよいよわが社の雌雄を決すべき年と考えて行動していくこととします。
なんだか、最後は私の決意表明みたいになってしまいましたが、さあ、皆さんは今年はどんな年でしたか?そして、来年はどんな年にしてみたいとお思いですか?
ということで、本年いろいろとお世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げます。
今年も例年にたがわずいろいろな事件や事故、出来事がありました。
「偽」の年と言われましたが、それは何も今年が特別そうだったわけではなく、90年代後半から21世紀に入って、この日本のあちらこちらに見受けられたことだったのではないか、という気がします。
自分も含めた日本人が「大きく動揺・混乱しているさま」が見受けられます。80年代の日本は、今から振り返ると「自信にあふれていた」のではないでしょうか?(見せ掛けの「自信」だったと思いますが・・・。)
わずか十数年でこの国は自信だけではなく、「心」を失いつつある気がします。
きっとこの国は大きく変革しなければならないタイミングに差し掛かっているにもかかわらず、変革の意気地がなくただいたずらにその場しのぎを行い貴重な時間が無駄に過ぎていってしまっている。そういう気がします。
もちろん、他人事でなく自分も含めて、のことですが。
さて、このような状況の中で、今年も様々な方々にお会いしました。そして、その出会いを通して「心」に残った言葉は何か、と考えましたところ、この方の言葉がもっとも残っています。
五木寛之氏の言葉の数々
「世界の精神状況が躁の時代から鬱の時代に入った」
「欝を悲しいもの、否定的なもの、ととらえるのはどうか」
「悲しいですか、という挨拶もあっていいのではないか」
「弱い人間というのは、むしろうたれづよく、『あーあ』と嘆息することはむしろごく自然な感性である」
最近、氏が発端となってブームになったものがあります。
それは、「歎異抄(たんにしょう)」。ご存知の方は多いと思います。親鸞の教えが書かれた「日本の聖書」です。
私の実家も浄土真宗に帰依していますから、私も幼時から親鸞の教えを、その意味も分からぬまま唱えておりました。
そして、物心がつき、人生の拠って立つものや世の中のことわりを探しはじめた際に、すこーしずつ気になり始めた人物が、やはり親鸞その人でありました。
日本人が自信を失い、心をなくしつつある今、「歎異抄」がブームになりつつあるということは、私の中で大変符合し合点するものがあります。
私は思います。「日本人の心のよりどころは歎異抄ではないか」。
その昔、日本の哲学者、西田幾多郎は空襲の火災を前に、ほかの書物が燃え尽きても「歎異抄」さえ残ればいいと言い切ったそうです。
歎異抄こそ日本の原点。われわれが世界に誇るべき日本人の普遍的価値観だと思われます。まさに日本人が取り戻すべき「心」がここにあります。
西田幾多郎は「哲学の動機は人生の悲哀でなければならない」と言ったそうですが、昔から日本人の心の態様は人生の悲哀を切り捨てるものではなく、人生の中に内包され共にありそれに備え対峙し過ごしていく価値観がありました。
アメリカを中心とした昨今のグローバリズムや市場経済の流れにおいて、もっとも重要なことは「負を切り捨て、正に変えていくこと」ではなく、「負を負として内包しともにありともに歩む心の態様」ではないか、と思っております。
キリスト教的世界観が限界となり、人々の心の支柱が流動化し不安定化している現代、日本人の果たすべき役割は大変重要なものがあると思っています。
われわれ日本人はわが国を世界から俯瞰し、日本という国が果たすべき役割、また世界に伝えなければならない『心の伝道師』としての日本人の働きについて気づくべきです。
私もこのような問題意識から起業したものですから、起業から10年たった来年に向けて大きく行動していかなければ、と思っています。
手始めに、この年末年始は今までと違いこの三島に残り(というのは、例年は実家の三重県に帰省していましたから)、来年大きく行わなければならない事業の計画書を作成します。年末年始は休んでいられなくなっちゃった・゜゜・(×_×)・゜゜・。 ビエーン
来年はいよいよわが社の雌雄を決すべき年と考えて行動していくこととします。
なんだか、最後は私の決意表明みたいになってしまいましたが、さあ、皆さんは今年はどんな年でしたか?そして、来年はどんな年にしてみたいとお思いですか?
ということで、本年いろいろとお世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げます。

忘年会楽しかったですね
すでに忘年会に参加された皆さんのブログで報告されていますから、私のデジカメに残っていた写真を以下に報告しまーすヽ(*⌒∇⌒*)ノ::・'゜☆。.::・'゜★。.::・'゜☆。ワーイ!!





皆さん、元気でパワーがありますね。
今回のこの忘年会の盛り上がりをぜひとも来年にもっていきましょう!
来年も皆さん、┌|*゜o゜|┘よ┌|*゜0゜|┘ろ┌|*゜-゜|┘し┌|*゜。゜|┘く♪ねー!!
皆さん、元気でパワーがありますね。
今回のこの忘年会の盛り上がりをぜひとも来年にもっていきましょう!
来年も皆さん、┌|*゜o゜|┘よ┌|*゜0゜|┘ろ┌|*゜-゜|┘し┌|*゜。゜|┘く♪ねー!!
タグ :忘年会