「雑感」の記事一覧

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小野たかむらと怪僧ラスプーチン

2007年05月11日

少しタイトルからしておかしいのですが、今日はこの「極めておかしい話」です。

皆さんはこの二人をご存知ですか?

小野篁(おののたかむら)-- 以下、『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用。

小野篁は遣隋使を務めた小野妹子の子孫。孫に三蹟の一人小野道風。そして、絶世の美女の小野小町がいる。
承和元年(834年)、遣唐副使に任ぜられるが、承和5年(838年)に正使藤原常嗣とのいさかいから、病気と称して職務を拒否したため、嵯峨上皇の怒りをかい隠岐に流された。2年後に許されて帰京。従三位参議に至った。

でもこんな史実よりもこちらの伝説の方が有名ではないか。

それは、夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたというもの。
冥界往還伝説。昼は偉い役人にして有名な漢詩人、夜は閻魔大王の右腕、という常識には納まらない非凡な才能の持ち主。

次に、怪僧ラスプーチン。これも、『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用。

グリゴリー・ラスプーチン。帝政ロシア末期のシベリアチュメニ州ポクロフスコエ村出身の農民、自称祈祷僧。謎に包まれた経歴や怪異な容貌から怪僧・怪物などと呼ばれ、ロシア帝国崩壊の原因をつくった悪人として、その人物評はすこぶる低調。ラスプーチンの祈祷や秘術は言語を絶するオーラを発し・・・・・。今で言うと「スピリチュアルカウンセラー」かな。

以上の、この2人の人物。魑魅魍魎として、これから夏に向けて、冷涼としたイメージを夜の闇に放っていくには最適な鬼才です。

さて、そもそもなぜこの2人を今夜のテーマにしてみたか?

それは、二人に「共通点」があるからです。

何?----実は----実は-----(なんちゃって勿体つけるほどの話ではありません(^^;・・)

かつて女性からたとえられた「私のイメージ」でした(少しショック*-*)w。やっぱ変人なのかな、と昔思ったりして・・・・face07

ということで、「今日は極めておかしい話」・・・・・・(×o×) でした。(ちょっとネタ尽きてきたのかな・・・ブル!)明日からがんばりまーすface02

  


Posted by かっちゃん  at 22:38Comments(0)雑感

朝鮮日報に伊豆のことを書いた記者が今度は

2007年05月08日

以前にこのブログで、「朝鮮日報に伊豆のことが・・」書いてあるというお話をしました。
以下のページをご覧ください。
http://katsu.i-ra.jp/e1459.html

この記者が、今度は「東京の路地で日本を再発見する」というコラムを書いています。

http://www.chosunonline.com/article/20070508000059
http://www.chosunonline.com/article/20070508000060

読んでみると、先の伊豆の記事とよくつながります。

私は、先日のそのブログの中の、シャーロットのおやじさんのコメントに感激して(シャーロットのおやじさん、ありがとう!)、返信のコメントを記入しました。

その中で、イチローの言葉を引用しました。
もう一度記載します。

『結局は、細かいことを積み重ねることでしか頂上には行けない。
     それ以外には方法はないということですね。』
     大リーガー・イチロー

今回の朝鮮日報の記者の記事のコメントの中に、イチローとほぼ同じことが述べられています。

「一つ一つは小さくささいなことだが、こうしたことこそ日本を先進国たらしめている重要な要素なのだ」

まさに、ここが大変重要なのですね。
これは観光に限らず、すべてのこと(事業、行為、品格等々)につながります。
見てる人はしっかり見ている、ということですね。

昔、よくおばあちゃんから言われました。「かっちゃん、悪いことしたらあかんよ。お天道様が見てるからね。」
まったく、そのとおり。
最近の日本人(もちろん、私も入っています)は、この「お天道様」を忘れていますよ。
子供の給食代を払わない親(最近は、保育費すら払わないそうですね)。
これは、もう、どうにかなっていますよ。
道徳、倫理が、現代日本において大変重要になってきているのを実感します。

観光の話をすれば、結局ベースにはこういった話が出てきます。

皆さん、この「イーラ」においてもこういった話ができるといいですね。

ではまた。

  

Posted by かっちゃん  at 19:19Comments(1)雑感

ITの今後10年~30年の動向について ⑦

2007年05月06日

第1回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1442.html
第2回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1540.html
第3回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1662.html
第4回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1703.html
第5回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1771.html
前回のお話  → http://katsu.i-ra.jp/e1885.html

さて、前回は「ケータイ」のお話をしました。
10年~30年先の「IT革命」の主役として、ひとつには「ケータイ」は挙げられるでしょうが、10年~30年先というスパンを考えると、それ以外にもっと大きな主役が考えられるというお話です。

何が考えられるか?

これは、人によってさまざまだと思いますが、私は、「ICタグ」というものと「ホーム・サーバーもしくは家事ロボット」ではないか、と考えています。

「ICタグ」に関してはリンクを貼りましたので、文字のところでクリックしてください。詳しく分かると思います。また、「ICタグ」に関しては多くの方が、インターネット上でお話されているので、簡単に情報が手に入れられると思います。

「ホーム・サーバー」に関しても多くの方がお話しているので、これもすぐに情報は手に入れられると思いますが、言ってみれば、「パソコンよりもっと能力の高いコンピュータで、家の内外のありとあらゆる情報を収集し、コントロールするマシン」のことです。
そして、私は、この「ホーム・サーバー」がゆくゆく「家事ロボット」に組み込まれていく、と思っています。

私の10年~30年先の、「IT革命」というキーワードで描く未来図は、大体、次のようなものです。
(ただ、これらのお話を聞くと、まず「抵抗感」が先走る方は、これ以降お読みになることはおやめになった方がよいと思われます。決して「読んでいて心持のよいもの」ではありません。私は、まずはよい、悪いの価値判断の前に、私が考える、これから進んでいくであろう、社会の動向予測をお話します。)

まず、0.4ミリ角の「ICタグ」がいたるところにはりめぐらされていきます。それは人はもちろん、着衣、食物、動物、植物、ありとあらゆるところに。「ICタグ」は常に「情報発信」をしています。そのことによって、ものや動植物、もちろん人も含めて、すべてのものが「情報化」されていきます。

そして、これらの「情報」をすべて制御するのが、「ホーム・サーバーもしくは家事ロボット」になります。(ところで、従来のPCは、早い段階でテレビもしくは、「ICタグ」を含めた複数の情報家電へ機能分散していますからご留意ください。)

「ホーム・サーバーもしくは家事ロボット」とわれわれがやりとりする道具が、「進化したケータイ」です。

こういった世界を描出すると、よく言われる、「自宅のさまざまな情報家電を遠隔操作し、また人の「欲求」をいち早く「センサー」が認知し、各種情報家電を連係させながら動作し、人の「想い」に応える」といったSFチックなお話が現実のものとなります。
このあたりのお話をし始めると際限なくなるので、このあたりにとどめ、私がもっとも気にするお話をします。

それは、「人間の情報制御の精緻化」です。

すなわち、人間の遺伝子レベルの話や、心理面・性格といった内容が、より精緻に情報制御されていくことになる点です。

たとえば、「あの人はこういう状況では、過去の状況と照合して、67%の確率で怒る。従って、A~Dの対処法の中で、Aを23%、Bを52%、Dを25%採用して、危険を回避しよう。」

感性の数値化(情報化)が始まります。感情が情報処理され、幸せが計算処理され、ライフデザイン(人生設計)がマニュアル化されます。(血液型による性格診断より遥かに精緻化されたものとなります。)

皆さんは、こういうお話をすると、まさか、とお思いになるでしょうが、実は、過去から現在をよーく観察すれば、人間社会が、この未来の状況に一直線に進んでいるのがよく分かります。
現在のわが息子の進路相談を、学校の先生とお話したとき、私は常にこのことを意識せざるを得ません。私たちが、小学・中学・高校のときから、現在まで、進路相談は、データに基づきどんどん精緻化してきています。(皆さん、気づきませんか?)

今、リクルートさんが始められていること、これはもちろん、リクルートさんを非難しているわけではありません。リクルートさんは、会社の事業運営を発展させるために、彼らの当然の事業領域として、「人生のデータベース化」を始めています。もちろん、「人生のデータベース化」というネーミングではありません。「職業のデータベース化」といった方が、現段階では正しいでしょう。しかしながら、これが、早晩「生き方のデータベース化」に変わっていくのは、間違いないと思われます。(もちろん、こういった動きをリクルートさんがやっているわけでも見せているわけでもありません。誤解のないように。)

そして、この「生き方のデータベース」が、先の「人間の情報制御の精緻化」とマッチすると・・・・。

ひょっとすると、人間は生まれたと同時に、遺伝子診断により「この子の進路は工学系がいいに、チ・ガ・イ・ナ・イ」ということになるかもしれません。

今、息子の進路相談をする先生に、このような「大きな問題意識や、もちろん罪の意識」はまったくありません。彼は、ただ単に、この内申点と成績では、ここの学校は「受けられないよ」と言うだけです。(ただ、ここでは誇張して言っているだけで、決して先生を責めているわけではありません。私が言いたいのは、社会の中で、誰が問題というわけでもなく、これらの状況が進んでいる、ということを言いたかっただけです。)

人間の「自由」は次第に狭まっていることに、私も含めて気づいていただければ、と思います。

ただし、「情報化」はもうとどめることはできません・・・・・・。
われわれは、「タフ」にならなければなりません。
これから大きな目に見えない「戦い」がはじまってくるのですから。

さて、次回は「二つ目の予測」をいたします。どんなお話になりますやら。

ではまた。(下の子は、私の息子ではありません。フリーの画像をネットから取ってきているだけです。どこの子だろう?うちの子より賢そう・・face03))

次へ → http://katsu.i-ra.jp/e2295.html

  

Posted by かっちゃん  at 22:24Comments(0)雑感

ITの今後10年~30年の動向について ⑥

2007年05月05日

第1回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1442.html
第2回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1540.html
第3回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1662.html
第4回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1703.html
前回のお話  → http://katsu.i-ra.jp/e1771.html

さて、このITシリーズ、おそらく女性にはまったく人気ないとは思いつつも、始めたからには続けてまいりましょうp(^_^)q

今から10年~30年先では、「IT革命の主役」は、「パソコン」に変わって、何になっているか、というお話でした。(なになに? そんなのなんだっていいよ・・・・まあまあ、少しは聞いてくださいよ(^_^;)

パソコンが消えていく、というのであれば、何か?ということですが、まずは、現在、少しずつ、その主役の座に躍り出ようとしている、「ケータイ」。

それはあるでしょう。ただ、今回の予想は、10年~30年先のことですから、もちろん、「ケータイ」はどんどん進化していると思いますが、それだけではないと思います。

ただ、ちょっと「ケータイ」の話になりましたので、少しだけ現在の「ケータイ」がどういう発展をしていくか、考えたいと思います。

皆さんお持ちの「ケータイ」は、われわれの生活のあらゆる場面で使われる必須アイテムとなるのは疑いありません。(詳しくはマエチャンのブログ「ケータイろ~かる万遊記」にお任せします。マエチャン、よろしく。)

たとえば、皆さんは、自宅にいろんなリモコン持ってませんか?

私なんか10種類くらい持ってます。(テレビ、エアコン、DVD・・・・等々)
これらのリモコンはおそらく、すべて「ケータイ」になります。(詳しい技術は興味のある方はまたお教えします。)

そして、この間、新聞を見てましたら、今は「お金の持ち合わせがなく、ケータイだけで、1週間過ごせる」そうです。もちろん、1週間ずっと家にいたわけではありません。その体験者は記者ですから、各地に取材に行っています。東京から沖縄まで移動もしています。その間、一切現金は支払っていません。すべて「ケータイ」です。
Edy、Suica、PASMO、nanaco・・・等々、電子マネー(仮想マネー)。すごい勢いで伸びている電子マネーと「ケータイ」。大変親和性が高い。しかも、クレジットカードと違って、これらは「現金」の一種です。その場で決済完了です。「クレジットカード」嫌いの日本人にもどんどん広がりを見せているのがその大きな特徴です。

そして、これが進むと、われわれは「銀行」へ行かなくなると思われます。
当然、「銀行」はその形を大きく変えていかざるを得なくなるでしょう。
(銀行出身の「いいもの」さんはどのようにお考えになりますか?)

たまたま、今は「ケータイ」の金融決済機能についてお話しましたが、「ケータイ」の話はこれだけではありません。大変膨大な世界が、その背後にまだ姿を現さず隠れています。
ただ、あまり「ケータイ」の話をしていると、肝心の主題がなかなか進みませんから、この辺で。
(「ケータイ」はどんどん進化していくし、それに多くの業界、そして、私たちの生活も大きく影響を受けます。これだけでも大きなテーマですが、これはマエチャンや他の人たちにお任せします。)

私がお話したいのは「ケータイ」だけではありません。「ケータイ」はこれから10年位の間に、その大きな変化が見え、その将来の幼図が描かれるでしょう!

私がお話したいのは、10年~30年のお話です。もちろん、「ケータイ」は大きな主役ではありますが、それ以外にもおそらく大きな主役になるものがあると思っています。

私にお付き合いくださるお人よしの方は、少し考えてみてください。

ではまた次回に。 次回へ → http://katsu.i-ra.jp/e1940.html

  

Posted by かっちゃん  at 12:03Comments(0)雑感

ITの今後10年~30年の動向について ⑤

2007年05月03日

第1回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1442.html
第2回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1540.html
第3回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1662.html
前回のお話  → http://katsu.i-ra.jp/e1703.html

さて、第5回目となってしまいましたこのシリーズ。
はてさて、どこまでいくのやら・・・・。

前回までに、「IT革命」の真の意味(私の考え)をお伝えしたつもりです。(ちゃんと伝わっているのでしょうか?)

そして、今日はいよいよ、私の独断と偏見で、「ITの今後10年~30年の動向」を大胆予想してみましょう。いろいろな予想がありますが、ここでは「IT革命」によって起こる「社会変革・動向」の予想ということで、お伝えします。かなりの独断と偏見ですから、「気休め」程度に・・・icon10
(ところで、この予想がなぜ10年~30年なのか?よかったら考えながら読んでください。なぜ2,3年先の予想ではないのか?)

さて、予想は大きく分けて4つ位、行います。
では、まず一つめ。

大きな動向予測の一つ目ですが、それは、

「IT革命」の主役である「パソコン」が消えていくでしょう

ということです。

(誰ですか?目の前のパソコンに別れを惜しんでいるのは・・・。「もう、君とは会えないね」 グスン って、ちがうでしょ・・・・うーん、ぶるっface06

いきなり自己否定のような形ですが、即ち、現在のような「パソコン」はなくなっていくだろうということです。(ただ、IT開発者にとっては、相変わらず「パソコン」は必要です。エンドユーザにとって必要かどうか、ということです。)

よーく考えると、「パソコン」って結構使いづらい機械ですよね。(だから、「パソコンスクール」が必要なんですがface02
私は、学生のころ、「パソコン」のような使いづらい機械。いずれ何かに代用され、すぐに消えていくだろう、と思っていました。

ところが、それから何十年と代用するものは現れずに、ますます世の中に「パソコン」が普及していきました。代用物は現れませんでしたが、「パソコン」の側が努力しました。以前より使いやすくなり、少しでも人間の用途に近づける努力をしました。ゆえに、世の中に普及していったわけです。

しかし・・・・以前より使いやすくなったとは言いながら、私はいまだに思っています。

やはり、人間の用途からみると、「パソコン」はまだまだ大変使いづらい機械だと。

だから、必ず代用されるはずです。
「パソコン」と同等の機能を、「パソコン」よりはるかに簡単な操作でできるものが現れれば、必ず代用されます。

では、今から10年~30年先では、「IT革命の主役」は、「パソコン」に変わって、何になっているでしょうか?(もちろん、変わっていない、という人もいらっしゃるでしょうが・・・。)

(つづきます) 次へ → http://katsu.i-ra.jp/e1885.html

  

Posted by かっちゃん  at 07:09Comments(0)雑感

閑話休題

2007年05月03日

ITの話ばかりだと嫌われてしまいそうなので(というか、もう何人かの方には飽きられているかも・・・face03)。
「IT・・・・」シリーズはこの後、10回以上続きそうな話なので、ぼちぼちいきます。

さて、少し固い話が続いたので、いきなり柔らかいお話です。

なんの話かって。

それは・・・・・・題して、「裏の顔」。

なんだか、「裏の顔」というタイトルに犯罪の匂いを感じますね。わくわくしますね。
意味深ですね。どんな話しがはじまるのでしょうか。

どんな人間にも表があれば裏がありますから。だから、人間には味があり、彩りがあり、人生にはドラマがあるわけですものね。

さて、「裏の顔」とは、いったい何?

それは・・・・、いやまた明日に。icon08

なんて、もったいつけてもどないにもなりませんから、はよ言いまひょ。face02

それは女の人が好きだ、ということです。(ドキッ!い、い、いきなり何face08って感じですね)

つまり、私は男なので、女の人が好きだということでしょう。

これは、世の中、古より男と女しかいなくて、そこに様々な恋愛模様が描かれ、そこから文化が生まれてくるのですから、これは何も「裏の顔」というよりも「表の顔」そのものなのかもしれません。
下手に、それを「裏」にするから、却ってその世界が暗いものになり、非合法になり、犯罪がそこに巣くうのです。
(ちょっとかっこつけすぎでしょうかface03

男は女が好きで、女は男が好き。

最近は同性同士の恋愛もありますから、必ずしもこのようではないのですが、基本的には異性同士は引き合うものです。

それは単に性的なものがどうのこうの、ということだけでなく、何か、存在として引き合うものでしょう!
私はいろんな意味で女性に興味があります。
女性は男にないものをたくさん持っています。
同じことは女性側からも男に対してもっているものと想像します。(というか、期待して(?)おります。)
また、「女性」も一人ひとり異なります。
それぞれの女性が、男にないものをそれぞれもっています。

男が女に興味がなくなり、女が男に失望しはじめたら・・・・
まさにこの世は終わりです。face07

そして、私は、最近の世の中を見ていますと、この男と女の存在がひきつけ合う、といった関係の、恋愛空間が非常に浅くなり、味気ないものになっている気がしています。
私より少し上の世代の方々の恋愛空間はもっと芳醇だったのではないでしょうか?
現代の文化が、いまひとつ底浅いものである気がするのは、私だけではないでしょう。

その時代の文化は、その時代の男女の恋愛の「深さ」に比例する(「カント」より・・・・?、うそですよ(^-^;

ただ、そこにある「心のゆとり」を大事にし、味わっていきたいものです。

ということで、私の「裏の顔」。それは女性が好きということでした。

冒頭、結構引っ張ってもったいつけた割には、なあんだ、という小話でありました。
ここまで、私にだまされて読まされた方、誠に恐縮です。
ありがとう、というかご苦労様でした。

ご苦労ついでに、もう一つだけ。
当然、私は家族を愛していますよ。icon06
(何々・・・あえて言うのはかえってあやしいって・・・・しーっicon10

では、また。icon22謝謝m(__)m


  

Posted by かっちゃん  at 06:01Comments(0)雑感

ITの今後10年~30年の動向について ④

2007年05月01日

第1回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1442.html
第2回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1540.html
前回のお話  → http://katsu.i-ra.jp/e1662.html

なぜ「情報の市場」が、われわれの存在そのものに大きな影響を与えるか?

ここで、以前、私がお話した「”森”が先か、”木”が先か」というお話を思い出してみてください。
まだ、お読みになっていない方は、以下のページをご覧下さい。

http://katsu.i-ra.jp/e515.html

そこに、「われわれは、他人との関係性の中で生きています。」ということを書きました。(思い出しましたか?)

実は、この「他人との関係性」とは、まさに「情報」のことなんですね。

先日知人から、あるテレビで、何人かの小学生に、「心はどこにあるかなあ?」という質問をして珍回答をもらう番組のお話を聞きました。
「心臓」とか「胸」とか「頭の中」という回答の中に、「君と僕の間」という回答があったそうです。
番組の中では、「小学生の捉え方はユニーク」という話で終わっていたようですが、私はこの話を聞いた時、「すごい!face08」と思いました。

われわれは自分で考え、感じ、行動していますが、その「われわれ」自身が他人やものとの関係性の中にいる、というお話をしました。即ち、心というのは「君と僕の間」「ものと私の間」にあるともいえるんですね。もし、その小学生が、このことを意識して回答していたとしたら、超天才ですね。「超早熟の哲学者」といえます。(ただ、そのことが小学生にとって嬉しいことかどうかわかりませんが(^^;)

ちょっと話はずれましたが、その他人やものとの関係性が「情報そのもの」であり、(あまり誤解してほしくないのですが)われわれの「存在」が「情報そのもの」である、ということです。(このことは、決してわれわれの感情や意思を否定するものではありません。われわれの感情や意思の土台の話をしています。)
そして、道草ついでにお話すると、われわれの「存在」が「情報」であるとすれば、肉体が滅んでも「存在」する可能性があり、亡くなった故人が、他人の心の中にいつまでも生き続ける可能性がある、ということです。ただし、生前の他人との関係性をいかに構築しているかに大きく影響を受けますが。

従って、もうお分かりだと思いますが、「情報市場」はわれわれの「存在」そのものにも大きく影響を与えていくものなんです。

「インターネット」が登場するまでは、「情報の流通」はあまり大きくはなされていなかったので、われわれの「存在」はそんなに大きく影響を受けませんでした。(ただし、「インターネット」以外でも「情報の流通」はありますから、まったく影響がなかったわけではありません。)が、「インターネット」の登場以降、「情報の流通」はどんどん加速度的に大きくなっています。われわれの「存在」はどんどん影響を受けていくようになるでしょう。

このことを、肯定的にとらえる人と否定的にとらえる方がいらっしゃると思います。(実は、私は「やや否定的」「慎重」にとらえています。)しかしながら、もう後戻りできないことだけは確実です。もう進むしかないのが、われわれの現実です。
現時点の「情報市場」はまだ生まれて間もないですから、そんなに大きな影響を与えていませんが、今後、どれほどの影響が、われわれの「存在」にあるか、私は想像すらできません。(最近出てきた「セカンドライフ」に、若干その萌芽を見受けることができますが。)

以上が、この「IT革命」の大変大きな意味だ、と私は思っています。だから、「革命」なんだと思います。

ここまでで今回はかなり話がながくなってしまい、誠に恐縮です。
次回からは、いよいよこの「IT革命」によって、われわれの生活、経済、社会がどのように変わっていくか、私の独断と偏見で大胆予想をしてみたい、と思います。
では、また明日。

次へ → http://katsu.i-ra.jp/e1771.html

  

Posted by かっちゃん  at 10:21Comments(2)雑感

ITの今後10年~30年の動向について ③

2007年04月30日

第1回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1442.html
前回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1540.html

パソコンでは「IT革命」とは言わず、インターネットが出たら「IT革命」と言われる。
とにかく、「IT革命」はパソコン(コンピュータ)とインターネット(通信)が融合されてはじめて生じるものである、ということ。
「IT革命」は、コンピュータが安価になりかつ操作性の向上で、各家庭にいきわたり普及した上で、インターネットをはじめとする安価で公正でつなげやすい通信が非常に広範囲に張り巡らされて、始まった。

すなわち、「IT革命とは、情報を非常に高スピードかつ広範囲に伝えることができる双方向の通信ツールによる、われわれの生活のありとあらゆる変化のこと」です。

と、ここまではよく巷で言われていることです。
今回は、折角ここまで筆を(キーボードを?)進めましたから、もう少し論を進めてみましょう!

では、このことによって結局何が起こっているのか?

もうお分かりですね。

情報を安価に流通させる市場、すなわち、「情報の市場」が生まれたんですね。
人類史上はじめて、物やサービスではなく「情報」というものが広範囲に売り買い(やりとり)できる市場ができた、ということなんです。

まさに、情報自体に本当の価値(?)が生まれた瞬間でありました。

そして、そのことが、われわれの生活全般のみならず、生き方や、もっと言えば、われわれの存在そのものに大きな影響を与えることになりました。

では、なぜ「情報の市場」が、われわれの存在そのものに大きな影響を与えることになるのでしょうか?

この影響を逃れられる存在は、残念ながら(?)この世には存在しません。

では、なぜなのでしょうか?

(明日へつづきます) 次へ → http://katsu.i-ra.jp/e1703.html

  

Posted by かっちゃん  at 18:06Comments(0)雑感

ITの今後10年~30年の動向について ②

2007年04月27日

前回のお話 → http://katsu.i-ra.jp/e1442.html

「IT革命」という言葉はいつ頃から言われはじめたのか?

少し考えてみましたでしょうか?

90年代半ば頃かなあ、2001年くらいかなあ・・・。

まあ、あまり明確にこの年から、とか、この日からとか言うつもりはありませんが、われわれが、「IT革命」という言葉をリアルに考え始めたのは、やはり、「インターネット」が巷間よく言われ始めたあたりだと思います。

このことは、2007年の今となっては、別になんら不思議に思わないのですが、数年前は、結構、この意味を問いました。

即ち、「パソコン」が身近になった時には、「IT革命」とは言わず、「インターネット」が世の中に出始めたころ、「IT革命」と言われた。ここに大きな意味があるってね。

事実、皆さんの身近にある「コンビニ」やクロネコヤマトの「宅急便」は、早くから高度なITを導入して、物流やサービスを変革していたのに、その頃は「IT革命」とはあまり呼ばれていなかったですよね。
大体、1980年代のころです。

ところが、「インターネット」が出たら「IT革命」なんです。

では、「IT革命」って何なんだ、ということです。その本当の意味はどういうことなのだろうか?

(今日のところはここまで、とします。では、また明日。)

次へ → http://katsu.i-ra.jp/e1662.html

  

Posted by かっちゃん  at 21:52Comments(0)雑感

朝鮮日報に伊豆のことが・・・・

2007年04月27日

皆さん、以下の記事を見てください。



http://www.chosunonline.com/article/20070206000034

http://www.chosunonline.com/article/20070206000035

朝鮮日報の記者の記事です。

われわれは、ともすれば自分たちの中だけで議論しがちになります。
そんな時、突然外からどーんと衝撃がやってきます。自己満足にならないように気をつけなければ・・・・。

皆さんはどう思われますか?

意見を聞かせてください。よろしく。  

Posted by かっちゃん  at 00:46Comments(3)雑感

ITの今後10年~30年の動向について ①

2007年04月26日

以前、他のブログで、2年前に書いていた内容なので、少し古くなってしまっているかもしれませんが、せっかく書いたので、少し焼きなおししながら、少しずつお話していこうと思います。

私が現在生業としている業界のことのみならず、広く社会の変化ということで、ITがもたらすもの・ことを語ってみたいと思います。最初に言っておきますが、かなり長いお話になると思いますので、先を急がずゆっくりと少しずつ小出しにしてまいりましょう。はあーっ。どうなることやらnakiちなみに、2年前のブログではかなりの長文で、11回シリーズでした。恐らく皆さん、すぐに飽きると思いますから、忘れた頃にまた訪れていただけたら幸いです。

「IT革命」についてのお話です。2年前は結構、エポックメイキングな内容でしたが、最近はもう皆さん、革命の真っ只中にいるせいか・・・・えっ、自覚してないってnaki・・・・・あまり言われなくなりました。

でもやっぱりこれは革命ですよね。われわれの生活や社会は大変革をおこしています。よきにつけ、悪しきにつけ。

じゃあ、「IT革命」って、いつ頃から言われはじめたか、皆さん、分かりますか?

ちょっと考えてみてください。そして、少しお時間ある方は、なんで「IT革命」と言うのか、考えてみてください。

では、また明日、お話を進めて参りましょう。じゃね。icon23

次へ → 
http://katsu.i-ra.jp/e1540.html

  

Posted by かっちゃん  at 19:29Comments(2)雑感

罪作りの肯定論(?)Ⅳ

2007年04月12日

第1話 → http://katsu.i-ra.jp/e816.html
第2話 → http://katsu.i-ra.jp/e840.html
第3話 → http://katsu.i-ra.jp/e882.html

さて、困ったこと。

それは、ある程度犯罪が存在するのは仕方がない、という、大変ゆゆしき見解が引き出されることです。(この議論は犯罪の被害者からみれば、まったくとんでもない話だということになるわけですが・・)

もちろん、犯罪を減らす努力は非常に大切です。ただでさえ、検挙率が落ちてきているのですから、警察にはしっかり取り締まってもらわないと。また、われわれ一人一人が犯罪防止のための努力を行うことは当然のことです。

ただ、現実的なバランス感覚にもとづくと、悪玉は決してなくならない、ということと、悪玉があってはじめて善玉の存在が光る、という世の中の構図が見えてきます。
また、犯罪が増えるのは困りものですが、そこまでいかないまでも、
あるバランスの中での悪玉は、これはある意味、世の中に必要なもの、と言えます。(誤解を恐れずに言っておりますが、「悪玉礼賛」では決してないので、ぜひとも主旨をご理解ください。)

世の中から悪玉が仮に消えたとしたら、それは同時に善玉が消えるということと同値である、と思われます。

結局のところ、われわれは悪玉の存在を認め、それをいかにうまくコントロールしてやるか。うまくコントロールできれば、悪玉の存在は、世の中の価値観の多様性を作り出し、そのことが経済社会の発展を促すことにつながります。

今日のお話は、いろいろと異論のある方が多いのかもしれません。
よろしかったらコメントかトラバを。お待ちしております。

最後に、誤解のないように。
善、普通、悪は固定的ではありませんから。決して誰かを悪玉と決め付けないように。人間は流動的で移ろいやすいものですよね。

あともう一つ蛇足を。
この世が心象風景であれば、当然、自分が変われば他人が変わるし、社会が変わるわけですよ。他人を変えようとするのではなく、自分が変われ、というのは皆さん、よく分かっていますよね。
この話題も大変面白いテーマなので、またどこかでお話したいと思います。

と、いうことで、最後は長文になってしまいましたが、ここまで読んでくださった方(きっとあなたは私と同じくかなりの変人です)、どうも本当にありがとうございました。

ではまた。

  

Posted by かっちゃん  at 13:05Comments(0)雑感

罪作りの肯定論(?)Ⅲ

2007年04月12日

第1話 → http://katsu.i-ra.jp/e816.html
第2話 → http://katsu.i-ra.jp/e840.html

さて、どうして、この善、普通、悪の構図は、至る所にあるのか?

ちょっと考えると、わかりますよね。ある意味、当然と言えば当然のことなんですが。

すなわち、これは自分自身の心理状態なんだ、ということなんです。

即ち、結局この世の中は、自分自身の心象風景なんですから。
自分の心の中に、善、普通、悪の構図はあるわけですから。

従って、このように考えると、次のことは大変よく理解できます。
それは、よく組織論で言われること。

「悪玉を排除しても、必ずその組織の中で、新たな悪玉が生まれてくる」。

当たり前ですね。自分の心の中の悪玉は決してなくなりませんから。
悪玉を増やしたり、減らしたり、はできるでしょうが、無くすことはできないですよね。

つまり、悪玉とうまく付き合わないと生きていけない、ということです。私は、それが自然のバランスだと思っています。

古来から、わが日本国民は、このバランス感覚を非常にうまく調整できる民族であったと思います。現在もそして未来もそうであったらよいと思いますが・・・どうでしょうか。

さて、このようにとらえると、ひとつ困ったことが出てきます。

どうしましょう?

(つづく) 第4話 → http://katsu.i-ra.jp/e891.html

  

Posted by かっちゃん  at 01:52Comments(0)雑感

罪作りの肯定論(?)Ⅱ

2007年04月11日

第1話 → http://katsu.i-ra.jp/e816.html

「262とか343、もしくは181」とは何か?

即ち、どんな組織も、その組織の構成メンバーにおいて、2割(もしくは3割か1割)の方が、ミッション(命題)遂行リーダーに、肯定的で率先的なアプローチをします。(この層を肯定層と便宜上呼びます。)そして、6割(もしくは4割か8割)の方が肯定的でもなく否定的でもなく、リーダーに従っていくアプローチをします。(これは普通層。)では、残りの2割(もしくは3割か1割)の方は何か?

当然、リーダーに否定的なアプローチをするわけです。(これは否定層。)

要するに、肯定層は大好きな人face05、普通層は普通にいい人face01、否定層は嫌いな人face07。その方が、わかりやすいですね。

ただ、ここではもう少しお上品(?)に、善玉、普通玉、悪玉ととらえます。

そうすると、実は、この善、普通、悪の構図は、至る所に見受けられることに気づきます。人間社会はもちろんのこと。国際社会、経済社会、金融界、産業界、教育界・・・政界もね。(政界に善玉があるのかってicon08・・・それ言っちゃおしまいですよface03

そして、これは人間社会や事業・産業の社会構造等の話だけでなく、例えば身近なところで、自分たちの資産状況、いわゆる懐具合なんかにも、この善・普通・悪があります。

いわゆる泡銭は、どんなに額が大きくても、たとえば100万、200万でもすぐに消えてしまいますし、汗水たらして稼いだお金や浄財は、たとえ1円や2円でもしっかりと有効に使われていきます。

同じように、自分たちの身近な人々や身の回りの道具(大好きでいつも身近におきたい道具、もう何年も目にしないもの)、食べ物(大好物から見たくもない食物)等々にも・・・・。

そして、なぜかそれらの割合は「262とか343、もしくは181」、なんです。(人によって若干割合が違うかもしれませんが)

問題は、どうしてこの善、普通、悪の構図は、至る所にあるのかな? ということです。

(つづきます)

第3話 → http://katsu.i-ra.jp/e882.html

  

Posted by かっちゃん  at 14:14Comments(0)雑感

罪作りの肯定論(?)

2007年04月10日

「イーラ・パーク」もだんだんブログ数が増えてきて、大変結構なことだと思います。そして、きれいな写真を掲載したブログが大流行ですね。「イーラ」は「フォトラバ」の機能があるから、写真があるとどんどんアクセス数が増えて、多くの人に見てもらえますから、余計に楽しくなってきます。
そして、また写真を撮って投稿へ。好循環ですね。ブログ・ポータルとして、かなり賑やかなポータル・サイトに自然な形で入っていくことになります。当然、またブログが増えることになります。

さて、私のブログはどちらかというと、それと正反対に、まず地味です。たまに写真は入れていますが、文字主体のブログです。したがって読むほうは大変。まず、なかなか読まれないでしょう!

ということで、賑やかなブログを横目に、また渋いお話を展開していきます。よかったら読んでみてください。

まず、タイトルが渋いですね。「罪作りの肯定論」とは、いったい何?

なかなかこのタイトル、何を話していいのか、迷うのですが、ふと思いついたので、話を進めます。きっと、ある一面から見ると、犯罪肯定論のように見える、大変けしからんお話になるかもしれませんので、その際はよしなに。お代官様、よろしうお願えします~。

では、質問です。

皆さん、262とか343、もしくは181、というお話を聞いたことがあるでしょうか?

組織論をやっている方はよくご存知の数字ですが、おわかりになりますか?

第2話 → 
http://katsu.i-ra.jp/e840.html

  

Posted by かっちゃん  at 23:02Comments(0)雑感

やったね!!常葉菊川、優勝!!!!!!

常葉菊川、すごい!!!!

常葉菊川がベスト4!!


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かっちゃん
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智を以って就き、而して成就されたし。然れども肝要なるは朋なり。
(漢詩に似せて書いた私の想いです。実はわが息子の名前を考える時に、作った文章です。)
人はどこから来てどこに向かおうとしているのでしょうか。
忙中閑の一瞬、時と空間、行間(?)を大切にしたいと思う今日この頃ですが・・・・馬脚馬脚。
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